F1で1970年代後半から1984年前半まで活躍した伝説のF1ドライバーのニキラウダの活躍をまとめてみました。

 

ニキ・ラウダと言えば、1976年レース中の事故で大火傷を負って、奇跡的な復活を遂げたドライバーという印象が強いですね。

 

ニキ・ラウダは、F1で生涯3回のワールドチャンピオンを獲得しました。

 

3度のワールドチャンピオンを獲得しましたが、その中でも実力が遺憾無く発揮されたシーズンは、1984年シーズンだと個人的に思いますね。

 

この記事では、一度引退をしてから復帰してアラン・プロストとの熾烈なタイトル争いの末にタイトル奪取した1984年最終戦ポルトガルGPに焦点を当てていきたいと思います。

 


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F1 1984年シーズンのニキ・ラウダとアランプロストの熾烈なチャンピオン争い

 

マクラーレンの黄金期は、ホンダエンジンを搭載し、セナ・プロストを起用した1988年16戦15勝(セナ8勝・プロスト7勝)の印象が強いですね。

 

1988年以前に1984年シーズンもマクラーレンの黄金期でした。

 

ニキ・ラウダとアラン・プロストを起用し16戦中12勝(プロスト7勝 ラウダ5勝)という圧倒的快進撃を遂げました。マクラーレンの第1期黄金期だったと言っても過言ではないでしょう。

 

 

 

当時マクラーレンの車体開発には天才デザイナーと言われていたジョン・バーナード設計によるマクラーレン・MP4/2とTAGポルシェV6ターボエンジンの組み合わせが、優秀な車体性能でした。

 

さらに、ニキラウダとアランプロストという超一流ドライバーの組み合わせが、快進撃を加速させていきました。

 

タイトル争いは最終戦ポルトガルGPまでもつれ込んだ

 

 

この年はマクラーレンでチームメイトのアランプロストとの一騎打ち。

チャンピョン争いは最終戦ポルトガルGPまでもつれこみました。

 

 

数々のバトルが繰り広げられたポルトガルのエストリルサーキット

最終戦を前に両者のポイント差は3.5ポイント

 

最終戦のポルトガルGPを残した時点でプロスト62・5ポイントでラウダ66ポイントという僅かにラウダが3.5ポイントのリード

プロストが優勝しても、ラウダが2位でフィニッシュすれば、ラウダが0.5ポイント差でチャンピオン獲得という状況でした。

※当時のF1ポイントは1位9点 2位6点 3位4点 4位3点 5位2点 6位1点

 


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予選はプロスト2位 ラウダ予選11位と圧倒的プロスト有利な状況

 

予選はアラン・プロストが2位を獲得。対するニキ・ラウダは予選11位とかなりラウダ不利な状況で決勝がスタート。

 

 

0.5ポイント差でラウダのチャンピオン決定!

 

 

ニキ・ラウダのドライビングスタイルの魅力とは

 

圧倒的に速さがあるドライバーというよりも、他のドライバーより速さが無くても巧みなレース戦術とマシンのセットアップで、レースを優勝する能力が最大の魅力ではないでしょうか。

 

レースはただ速ければ勝てるというわけでも無く、勝てないレース状況の時でもいかに1ポイントでも多く獲得するかというのを重視しているドライバーですね。

 

特に、最後のワールドチャンピオンになった1984年シーズンは一度もポールポジションを獲得していないのです。

 

またセッティング能力に関しても他のドライバーより長けていました。予選で遅くても決勝で後方からどんどん追い抜いて、いつの間にか1位になっているというレースが多かったです。

 

プロストのレース戦術はニキラウダから学んだ

 

今ではアランプロストというドライバーは、一発の速さよりもレース戦術で勝っていくイメージが強いように思われます。

 

ニキラウダとチームメイトになる以前は、若き頃のアイルトンセナのように速さが目立つドライバーでした。

 

F1の1984年シーズンはアラン・プロスト7勝でニキ・ラウダ5勝でプロストの方が勝利数が多いにも関わらず、ニキラウダが0.5ポイント差でチャンピオンを獲得しました。

 

アランプロストが、キャリア後半安定感のあるレース戦略重視のドライビングスタイルに成長したのはチームメイトだったニキラウダの影響が大きいと言われています。

 

ニキラウダとアランプロストの2年間は、両者の関係はかなり良好だったとも言えます。ライバル同士というより師弟関係のような印象でしたね。

 

セナとプロストの火花を散らしてた緊張関係とは大分違いますね(笑)

 

速く走れなくても勝つという能力ではずば抜けた能力を持ったドライバーだったと思います。

 

 

 

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